個人的に物凄く変わったフェチだと思うのですが、昔からバブルの遺産探訪が大好きです。

特に東京都や大阪府が行政主導で進めた都市開発では、当時の行政による見積もりが甘かったとしか言いようがないような事例が多発していました。バブル期に設計し、バブル崩壊後の90年代に竣工された施設。しかし、2000年代に入ってもテナントが埋まることはなく、結果的には運営が立ち行かなくなり、2000年代後半には財政破綻…。そんな悲しき歴史を経た施設達を紹介します。

大阪の負の遺産『フェスティバルゲート』

大阪有数の観光地「新世界」「スパワールド」から徒歩1分の位置に存在した都市型遊園地。東京で例えると、東京ドームシティ的な存在を期待された遊園地でしたが、その末路は悲惨なものでした。

以下の動画は、解体直前の2009年頃のフェスティバルゲートです。
これが大阪中心部に鎮座していたんですよね。信じられないでしょう。
閉鎖されたエスカレータ、羽の折れた天使の像、シャッターと放置された柵・・・。

幼い頃、新世界の最寄駅・新今宮駅周辺から見える遊園地「フェスティバルゲート」が、私にとっては夢の国に見えました。敷地からはみ出たジェットコースターがダイナミックで、眩しく見えたのです。私も両親に「新今宮の近くの遊園地へ行ってみたい」と懇願したのですが、親は肯定も否定も言わず、「あそこはね…(呆れ)」と腫れ物やタブーに触れてしまった微妙な空気が流れました。

その後、フェスティバルゲートを負の遺産と批判したニュースが流れてきたことから、実態は「眩しい夢の国」でも「祭りへの扉」でもなんでもなく、空虚なもぬけの殻だった衝撃を今でも覚えています。

1997年 開業
2004年 財政破綻
2007年 営業終了
2009年 解体

開業当初、1000万人の来場者を想定していたのですが、2001年のユニバーサルスタジオジャパンの開業や不況の波に飲まれ、来場者が300万人で推移することになりました。営業終了後の末期は、不定期に開催される大阪プロレスの試合会場としか機能していませんでした。

立地が大阪のドヤ街である西成が近く、ホームレスや日雇い労働者の溜まり場になる可能性があったことから、警備員の配置で過剰に人件費が割かれるなど様々な問題が浮き彫りになりました。「そもそも西成に近い新今宮に遊園地だなんで無理があった」という人もいますが、本当に立地の問題なのでしょうか?同時期に開業したスーパー銭湯「スパワールド」は現在でも大盛況です。
やはりユニバーサルスタジオジャパンの影響は大きかったと思いますが…。

私的にはパチンコ屋になるくらいなら、令和の時代まで残しておいて欲しかったです。そしてバブル期の負の遺産の象徴として世界遺産に登録申請を出せばよかったんです。じょーだんですけど。